WALK INN FES2017

東京は交通の利便性がとてもいい。上京してからというものたくさんのフェスにも遊びに行った。思い立って行って、全部楽しかった。すごく楽しかった。だけどこんなフェス、他のところにあるだろうか?わたしは知らない。 WALK INN FESは鹿児島のフェス。わたしの鹿児島の仲間たちが力を合わせて、イベンターさんにも頼らず協賛もつけずにつくるフェス。活火山である桜島のふもとでやるフェス。 今年で4回目のこのフェスに参加するために、わたしはもちろん鹿児島に帰った。ただ今年少しだけ違うのは、今まで呼ばれなくても帰ってたんだけど、今年はなんと呼んでくださったのである。何ヶ月も前に連絡が来たのは初めてだ。タイムテーブルにのるのも初めて。(いつもは、どうせくるっしょ?歌えば?って、一週間くらい前に連絡が来るwww) 今回も、設営から、サポートチームですです隊、そして演者、撤収までフルコンボで満喫しました。毎回毎回想像を軽く超えて来るんだよ。そして今回やっと、一つの形が出来上がったんだなと思いました。身内だから?友達だから?参加してるから? 贔屓目抜きにして本当に素晴らしいフェスになった。ですです隊は人数も増えて、ラインでやりとりしながらみんな能動的に動く。「あれ、こうした方が絶対いいからやっちゃいますね!」なーんて。みんなやりたいから動く。考えて、どうしたらこのフェスがもっとより良くなるか。1日目、わたしはオフィシャルの物販をお手伝いさせてもらったんです。今までいろんな物販をなんやらかんやらさせてもらってだからそのノウハウも使い、テキパキやらなきゃ!なんて思ってたんだけど、ここは鹿児島。彼らのリズムがあって、それでいいっていうお客さんがいて、わたし、なんて生き急いでたんだろう!なんて、ハッとさせられちゃった。 2日目は演者として。本当にたくさんの方が足を運んでくださった。他にもステージはあるのに、来てくださって本当に嬉しい。子供達が一番前で見てくれて、大人も子供ものんびり聴いてくれて。すごく嬉しかったよ。心からありがとう。 東京でよくお世話になってる先輩方や友達も出演してたね。hawaiian6,BRAHMAN,ヘヴンリーボーイズ,福岡のSHIMAもね。「今のもりくみは、鹿児島のみんながいたから、できたんだねぇ♪」なーんて言われちゃうと、嬉しいやら誇らしいやら。 このフェス、わたしの仲間が作ったんだよ!すごくいいでしょ!子供達が自由に遊んで。大人もニコニコ、わいわいして。 みなさん第一線でライブしてる方々だけど、こんなフェスないよね。本当に素晴らしいって。わたし嬉しい。 鹿児島が帰る場所で本当に良かったって思います。こんなに血の通ったフェス、なかなかないだろうなあ。 僕らの街は僕らで創る。 楽しいことがないなら作っちゃえばいいじゃない。こうしたいなって思ったらやればいいじゃない。が実現できちゃうフェス。誰だって当事者になれるんだ。受け身じゃなくて、マナーを守って自由にやりたいことやったら、みんなが胸を張って言えるんだよ。 そう。撤収が終わって、まっさらになった桜島のグラウンドをあとにして、WALK INN STUDIO野間さんと車に乗って話してたら、彼はこう言った。「このフェス、自分でつくったんだ。って思っていいからね。」わたしは即答した。「もちろん!」

懐古的少女のはなし

  • そんなに過去に執着したり振り返ったりしないタイプなんだけど、なんとなくインスタの過去の写真を見てたら面白くなっちゃって、眠れねぇじゃねえかこのやろう。

 わたしはね、大学の頃少しだけバンドしてたんだよ。オリジナルで曲作ってさ。でも、みんな就職して終わっちゃったけど。そのバンドやってる時は、わたし一生音楽やりたいんだよねって言ったらすごい嘲笑の嵐だった。「やれるわけねーだろ!何言ってんの?」わけがわかんなかったんだけどすごく腹立たしくて、それを言葉にすることをやめた。周りの目を気にしてたわたしは、それがすごく恥ずかしいことのように思えてしまったのだ。そんな弱い自分も、今となっては可愛いもんだけど 笑 そんな時に出会ったのがWALK INN STUDIO。初めて弾き語りをしたきっかけ。(厳密に言えば、その前年にゲスのちゃんまりと阿部真央ちゃんと一緒にしたのがほんと最初だけど、カバーばっかw)初めてのオリジナルの弾き語りはHUSKING BEE 磯辺正文さんと。ちょうどあの地震から一ヶ月の4/13。わたしは多分まだ森田久美子(Junk Buddhist)名義だった。それから時は経って12月に東北ライブハウス大作戦のイベントをして、でもまだその弾き語りの時も決心がつかなくて。2012年に新しく組んだバンドをすぐ解散して、弾き語りやるって、WALK INN STUDIOの野間太一に電話したんだったwなんで電話してんだよwwww 2012年からはクソほどライブさせてもらった。共演は、HUSKING BEE、UA、吉田山田、黒木渚、YeYe、中山うり、岩瀬敬吾(敬称略)2013年はタテタカコ、中村マサトシ、韻シストshu、山口洋。ほかにもたくさん。(こっちも敬称略)あと鹿児島のほぼすべてのバンド。ラジオもテレビも特集で出させてもらって、鹿児島県内各地を飛び回った。たった2年。たった2年鹿児島で活動して、わたしは東京に出てきた。鹿児島の森田くみこより、東京の森田くみこのほうがもう長いなんてねw すごい話だ。 面白い投稿があった。2012年のAIR JAMに行った時のやつ。その時見た初めてのBRAHMANは、最強だった。ハイスタはもちろんすごかった。青春だもん。でもね、BRAHMANがほんとにすごかったの。どれくらいすごいかって、帰りに渋谷のタワレコでTOSHI-LOWさんの詩集買って、渋谷のカフェでそのまま全部読んでしまったくらいw詩集かよ!って感じだけどwwww夢がまた1つ増えたなんて投稿してたけど、多分その時の夢叶っちゃったんだよね。会いたかったんだよね。でも会えたころにはそんなこと忘れてて、今は新しい目標ができちゃったの。ふふふ。なんか、たまには過去を振り返るのもいいね。森田くみこ今年5周年。たったの5周年。大好きなHAWAIIAN6の4分の1。 まだまだ小童じゃねぇか。なんだってできるね。なんかね、今までの焦りとかそういうのを少しだけ置いてみたんだ。少しだけ諦めに近い感情なんだけど、それは別に悪いものじゃなくて、わたしの歌を生かしたいってそれだけなんだ。わたしがこの子達を生かしてあげなきゃって。わたしの存在なんてただの肉体だよ。ただの器。 生きて。生きて。もっと、生きて。  

今のわたしはもう過去になる

小さなわたしという人間の、拙い人生の中で、少しの変化が起きようとしている。

自由に生きるということは変化がつきものだし楽しんでそれを受け入れてるけれど、今回の変化はわたしのこれからに大きく関わるようなそんな気がするのだ。変化など変わってしまえば日常だけどね。 唐突に伝えられた宣告は、一ヶ月でわたしの生き方を大きく考えなきゃいけないものになってしまって、いや、ずっと考えてるんだけど。これまでの自由は、もしかしたら失うかもしれない。新しい自由を手に入れなきゃいけないのかもしれないね。 帯をぎゅっと締め直して進めよわたし。きっとその先に新しい生き方はまたあるんだとそう思う。 

おに!おこ!!ぷんぷん!!!

YOSHI ROCK FESTIVALありがとうございました! そもそも、発表された時、近い友人たちはみんな叫んだ。「お前、なんでこの中にいんだよ。。」 それもそうだ。COWCOW / アイアンメイシン / LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERSTOSHI-LOW(うたの鬼ぃさん), KOHKI(SHABERI SUGIRU),RONZI(弾き語り), MAKOTO(SHABERI SUGIRUトークゲスト)KenKen(RIZE, Dragon Ash, etc) / HUSKING BEE / 細美武士(the HIATUS, MONOEYES) /Xmas Eileen / Dizzy Sunfist /吉本新喜劇ィズ / ミツハシアツシ(exNUKEY PIKES)/NARI (HEAVENLY BOYS/SCAFULL KING) / 岡峰光舟(THE BACK HORN) / たつきち(yonnayonna)/ DJ OT /森田くみこ⇦ 森田くみこおおおお?大先輩方ばかりのこのラインナップ(しかもこわめの)なかに、か弱い女性弾き語りのわたしの名前が。そりゃみんな言いますよね。 「お前、なんでこの中にいんだよ。。」 そもそも、そもそもなんだけど。COWCOWの善しさんは、靴職人の友達に紹介していただいて、(出会いはもっとあとだったけど)それからイベントに出させていただいたり、そして、去年からはLOW IQ 01さんとのトークショーを始めたので、ピアノを弾かせてください!と直談判して、弾かせていただき、それ以来もうずっと呼んでいただけて。善しさんには本当にお世話になりっぱなしなのだ。名前のないわたしを平気で鬼バンドのライングループに入れてくれるw所謂ふつう?のバンドの出会い?ではないのだけど(たいばんしてイェーイ的な。想像だけど)でも、もっとすごい音楽の出会い方をさせていただいているのだ。善しさんは、お笑い芸人だ。テレビをあまり見ないわたしでさえ知ってる。音楽が好きで、音楽とお笑いが融合できたらいいなあって。お笑い芸人が、全国津々浦々のライブハウスをツアーで回るなんて、初めてのことだと思う。どんどん仲間を増やして、今回のフェスに至ったのだ。本当にすごい。善しさんじゃないとできないイベントなのだ。その中の一コマの端っこにわたしも入れてもらったのだ。善しさんはほんとうにすごい。わたしゃ、さっぱり頭が上がらないんだ。善しさんにもらった出会いは、わたしにたくさんのものや気持ちをくれるんだ。本当に頭が上がらない。 YOSHI ROCK FESTIVALもそうだった。ステージには善しさん、LOW IQ 01さん、KOHKIさん(BRAHMAN)、NARIさん(SCAFULL KING)といつものメンバーに加え、BRAHMANの他3名に、ニューキーパイクスのみつはしさん。なにこれ。地獄で行われてる神々(鬼?)たちの会合ですか?袖に見えるは細美さん。野次飛ばしまくってる。その端っこにわたし。どんなメンバーだって、1音めはヒリヒリするんだ。一曲めはSSのSUPER STUPID。予定には全くなかった!w幕が上がったら始めるから!って。。カウントは!?wwww あぁー幕が上がる。誰も始める気配はない。善さんこっちみるよし。「わん!つー!ワンツースリーフォー!」 あとはもう音がすべてを作り出す。 わたしは、ずっとひとりでやっているから、脇役になんてなることはなかった。どんな小さなステージでも上がって仕舞えばわたしが一番の主役だったから気づかなかった。本当の主役はこの音楽たち。しゃべりすぎるのステージは絶対的脇役なのだ。このステージにわたしはいつも戒められているんだ。主役は音楽。いくらひとりでも、わたしは脇役でいいんだ。お前誰?って言われてもそれでいい。わたしは、脇役。 はじめて仕舞えば一瞬のステージだった。ああー、楽しかったなあ。幕が下りてKOHKIが駆け寄ってきて「昨日スタジオでやった曲なんもやらなかったやん!!!wwww」まさにそうだわwwwwでもそれがたぶん、いいんだと思うw大好きな先輩たちも、音楽を前にしたら本当に子どもになるのだ。こんなこと、みんな知らないでしょ?笑わたしも知らなかった。一生こうやって、いい音楽見つけて、いい音を見つけて、はしゃいで、一生飽きないんだろうなって。あー音楽って最高ではないか。 自分たちのステージ以外も休む暇はなかった。袖でみたりフロアでみたり、裏で飲んだり、ほんと素敵だった。善しさんには頭が上がらない。もっともっと音楽とお笑いは融合できるんだろうなって思う。すごいなあすごいなあ。また目撃したいなあ。 16時前に会場入りして、家に帰り着いたのは朝の11時半だった。朝というか昼。あー楽しかったよ。そしてもっともっと、頑張ろうって思うんだ。

short movie tour 九州編

遅ればせながらshort movie tour九州編ありがとうございました!初めてのツアーで九州をまわれたことがとてもとても嬉しいいい!一カ所ずつ思い出を書いていきますね。 ◾︎まずは東京、代官山晴れたら空に豆まいてでのワンマンライブ!お昼っちゅうことで皆様には早起きをお願いしてしまいましたね。せっかくのお休みのお昼をわたしに時間を使ってくださって本当に感謝!ワンマンではバンドセットもやりました。出演は三星章紘(ミドリのマル、slymangoose、tokyo no.1 soulset・スチャダラパー・レキシ等のサポート) NARI(ヘヴンリーボーイズ、WUJA BIN BIN、SCAFULL KING) jun ishii(ニコ動歌い手さんなどのサポート) 秋山璃帆(ゆず・SEKAI NO OWARIなどのサポート) こうやって見ると、ほんとにすごい皆様に手伝っていただきました。感謝、感謝、感謝。みなさんほんとに快く引き受けてくださって、なんて本当に恵まれてるんだろうって。ずっと1人でやってきたつもりだったけどふと顔を上げたらたくさんの方が支えてくれて、手伝ってくださって、見ていてくださって、そんでこうやってライブに来てくださる皆さんがいて。何が1人だよ!笑本当にありがとうございました。やっとやっと、東京にきてやりたいことがやれるようになったなって実感があります。ほんと少しの小さな一歩だけど、わたしの中では大きな衝撃。本当にありがとう。サポートしてくださった皆様のやってる音楽も素晴らしいのでぜひ!チェックをよろしくお願いします☆  ◾︎長崎Ohana cafe (ワンマン)初めて地元でライブ。やったことないから、ビビりまくってたのですが、これは家族と学生時代の友人たちに助けられましたw何より家族全員揃って、(東京の妹たち、単身赴任の父も合わせて帰ってきてくれて)今わたしがやってることを見てもらえて本当に嬉しかった。母や祖母の友達も来てくださって。いつものライブとは少し違う、みんなで楽しめるようなそんなライブになりました☆家族に支えられて音楽ができていることを改めて実感。みんなみんな応援してくれて、本当に嬉しいなあ。学生時代の友人たちも、快く来てくださって、本当に感謝。飛び込みで来てくださったお客さん、ミュージシャンの方もいて、本当に嬉しかったなあ。オハナカフェのマダムと社長もとっても素敵な方で、また絶対行きたいって思いました。  ◾︎福岡gigiIRIKOの鶴が弾き語りやったことないっていうので引っ張り出して無理やりイベントを組ませましたwやったことないのに鶴の歌最高じゃん!!なんだよー。最高じゃんかよ。gigiの皆様もとても暖かくって、満員御礼でした。なんだよー福岡最高じゃんよー。CDもたくさん買ってくださって、繋がりもできてとても嬉しい夜でした。打ち上げに行く途中とんちピクルスさんにばったりお会いしたり、泊まらせてもらう人が寝落ちしてもりくみの宿問題解決作がとても素晴らしいものになったり、それはまたいずれwwww  ◾︎大分十三夜大分も初めて!ってか初めてばっかwircleの河内に紹介してもらった十三夜。ピアノもあって、緩やかな雰囲気の中ライブ。河内に手伝ってもらった曲も演奏できてとても嬉しかった☆日付変わるくらいまで十三夜で飲んで、とてもいい夜になりました!新しい出会いもあり!また必ず行きたいなあ☆ちなみに、河内の実家の椎茸やさんにも菓子折り持って遊びに行きましたw ◾︎熊本NAVARO予定にはなかった熊本。しかしツアー中に古い友人がライブハウス復帰してるという噂を聞き、無理やり訪問したらライブさせてもらえることに!なんて仕事が早いのかしら!!ちなみに大分熊本間は下道を。地震が起きてから一度も行けてなかったから今更ながら。阿蘇を降りるときは未だ仮設住宅も少しあり。昔からの友人ジュンさんは、地震をきっかけにライブハウスに戻ってきた人。地震の時の話をたくさんしてくれました。NAVAROは地震でもうだめになってしまって移転したのです。ほんと呆然と聞くだけになってしまったけど、悔しいなあ。誰も悪くないのに、怒りや恐怖をぶつける相手さえいないなんて。だけどみんな強かった。人は強いなあ、美しいなあって。やっと行けてよかった。熊本。今度はちゃんと予定立てていこう。  前半戦はここで終わり。本当にたくさんの出会いと、素晴らしい時間を過ごせた。各地の皆様に本当に感謝。ありがとうございました。

3,rain

安易に始めてしまったセルフライナーノーツ。どうしよう、別にもう書く事がない。。このrainという曲はどのラジオ局にも一番に出していて、なんなら、鹿児島はMBCの夕方のニュース、ニューズナウのエンディングテーマになってしまったのだ。(ありがてぇ、ありがてぇよぉ)(月曜から金曜の18:15〜放送のニューズナウ、ぜひよろしくね☆) このrainという曲、今までの私の曲とちょっと違うと周りから言われたりもする。私ねえ、2015年は何もできない年だったのよね。曲が作れなくなって、歌も良くなくてね。ほんとに、何もできなくなったの。あるときね、神戸で結婚式があって、その翌日静岡でライブだったのね。早朝に新幹線に乗り、静岡に向かったわけ。曲ができないって本当に苦しかったのよね。ただでさえ無価値な私が、もうほんとゴミクズのように思えていて。ほんとうにゴミカスだったのよ。たぶん笑その日の神戸は大雨で、土砂降りの中新幹線が発車して。雨ってすごいのね。本当に新幹線がバケツで水ぶっかけられたみたいになってるの。新幹線も速いから、水が捌けると、森から霧が立ち昇ってる。雨と霧、水が循環する様を見てしまって、その場でこの曲を書き上げた。とても美しかった。そうやってできた歌。捻くれてる私は、太陽にはなれないけれど、あなたの雨になりたい。 Online storeはこちら♡

4,夏の終わり

さて、賢明な皆様はお気づきであろう。昨日思い立って、もしも、僕が二ついてブログを書いたのだが、そう、今更だけどセルフライナーノーツにしようと思う!安易、安易よノォwwwwwwそもそもね、わたし、セルフライナーノーツを書く意味がわからんかったのですよ。確かにね好きなCDとかがどうやってできた曲だとか知りたい。でも、ひねくれ者のわたしは、会って話して聞くまで知りたくなかったりするのです。会えるまで頑張って、それから、聞く!そしたらなんだか秘密ができたみたいで少しうれしい☆ でもね、やってもないのに文句を言うのはダサい。という事で、今回のショート・ムーヴィーは音学的にも実験をしてるのでここでも実験をしてみようと!前置きは長くなりましたが、セルフライナーノーツ始めます♡前回のブログにも書いた通り、ショートムーヴィーというアルバムは、映像は入ってないけど、映像を思い浮かべられるような。そんな曲たちを表現させてもらってるのですが、今回はその中でも一番古い曲、夏の終わりについて話したいなあと。 この夏の終わり、実は曲ができたのは2010年とか。森田くみことして活動する前の事。それまで密かにバンドをやっていたのですが、この曲は作詞作曲編曲までをわたしのワンマンでやらせてもらった曲。(まあそこにバンドの皆さんのセンスが相重なって、演奏してたのですが。)大学生のやってるバンドは、就職を機にやめることも少なくなく、私たちも例に漏れず解散。紆余曲折あり、わたしは大学の方を終わり、半年後、ソロとなった。ちなみにそのバンドの解散ライブは、盟友crimsonと共に。タイトルは"the end of summer"夏の終わりの出来事だった。   あれは2010年だったか。アルバイトをしていたわたしが休憩中ケータイを開くとおびただしい数のメールと電話が。留守電を聞く間もなく、また電話がなり、通話をオンにした瞬間わたしに知らせが入った。思った以上に平然としていられた自分にもびっくりしたが、理解にほど遠く、バイトを終わらせて友人と落ち合った。話す内容は常識を擦り合わせるような内容で。たいして毎日一緒にいたとかじゃない。そこにいたというだけだったのに、心の一部はブラックホールのようになって、涙も気持ちも吸い込んだ。感情の表し方が普段から苦手ではあったが、この時ばかりは本当にわからなかった。1人暮らしの家に帰るのが嫌で、友達と集まってみんなで川の字になって寝た。きっとみんな1人になりたくなかったのだろう。久々に会った僕らは思い出話をした。笑いながら、くだらない話をし続けて朝方眠りについた。  祖父が死んだのも夏の終わりだった。九州は夏が少しだけ長い。わたしがまだ10の時。死というものを受け入れるほどの経験も何もなく、冷たくなった祖父を見ても何一つ実感がわかなかった。おじいちゃん子だった私は、夢を見ているかのようにおじいちゃんのそばにいた。何を話すでもなく、ただそこにいた。火葬場に向かうマイクロバスの中で、おじいちゃんが焼かれるという事実を目の当たりにし、声を上げて泣いた。なんで泣いたかはわからないのだけれど、嗚咽は止まらなかった。無口で不器用なおじいちゃんが大好きだった。重い私をおぶって水族館や茶市に連れて行ってくれた。小さな頃の思い出に母はあまりいない。おじいちゃんばかりだ。母ひ妹の出産で大変だったから、祖父といる時間がとても長かった。理解はしていなかったのだけどわかったのかもしれない。死を初めて目の当たりにした。夏の終わりだった。 ひぐらしが鳴く。涼しい風が吹いて、髪を揺らす。夏の終わりは私にとって一番の別れの季節。もちろん悲しい。寂しい。だけど変わりゆくのは周りだけではない。 わたしもまた変わってしまった、夏の終わり。CDの購入はこちら♡

5,もしも、僕が

 ツアーの興奮も冷めやらぬまま、ブログをしたためたいところだけど、それよりまず今お知らせしたことを。初めてMVを作ったのです。手作りで(笑)わたし、映像のえの字のセンスも持ち合わせてないから今まで作ったことがなかったの(笑)今回のミニアルバムのタイトルは、ショート・ムーヴィー。日本語だと短編映画。わたしはいつも歌を作るときに、目に映る情景やあの日の匂いや、そういうものを考える。毎日事件があるわけじゃない。言い方を変えれば、何もない日常だってある種の事件なのかと。だから、このアルバムを聴いて、あなたの何気ない日常だったり、小さな事件が、きっといいものだって思えたらいいなあって。まあこれはわたしのエゴだからどんなことを思ってくれても構わない。MVにした曲は、5曲目の、"もしも、僕が"この曲はどのラジオ局でも流してもらってないし、いわゆる、推し曲ではなかった。それこそ、この曲が出来上がったのがレコーディング当日。本当は他の曲を収録するつもりだったのに、その朝降りてきたのだ。一気に書き上げたこの曲をその日、CDに入れた。どうしてこの曲をまず映像化したのかというと、わたしが東京に来てからずっとお世話になってる場所があった。浅草の地下にある洋服屋。洋服屋なのにタバコが吸えて、売る服はあまり置いてなくて、猫がいて。看板もルーズリーフに店の名前をはっつけて書いてるだけ。これだけ書いたら、なんでやる気のない服屋なんだ!って思うかもしれないね。ここではたくさんのことを教えてもらった。(今だってたくさん教わっている。)扱うものが服と音楽と違えど気持ちはきっと同じだ。いいものを、手をかけて、心を込めて、丁寧に生み出して発信する。時間をかけてゆっくりと、それは多くの人に伝わり、そこに在るもの、となっていく。不思議なことにここの服を着ると、何か力が湧いてくるのだ。生きる力というか、明日はこれを着たいな、なんて、わたし今まで考えたことなかった。服なんてどれでもよかったし、真っ黒な服しか持ってなかった。服が破れたらまた新しく安い服屋で洋服を買い、少ない服を着まわしていた。でも服はそう在るためになかった。ステージの上に立つときは、しゃんと背筋の伸びる服と靴を。それはわたしの自信となった。日常は着心地の良い、洗って何度も使える服を。着るたびに馴染むその服は、どんどん私だけのものになっていく。服に無縁だった私にとって、この服屋は東京に来たときの最初の衝撃だったのだ。だから私は、東京で作った歌たち、最初のMVは絶対ここで撮りたかったのだ。日本には二回の死がある。店主は彼が死んだ時言った。1度目は肉体の死。2度目は皆の記憶から消える死。彼は1度目の死を迎えた。多くの人に愛されて、死を迎えた。彼は何も喋ることはなかったけれど、皆のなかに在ったのだ。死んでからもなお、彼はまだまだ、私たちの中に生き続けるだろう。2度目の死はなかなか来ないということは、彼の眠っていたゆりかごの花が証明している。彼は何を見ていたのだろうか。自ら進んでそこに行き、人と共に生きた。きっと嫌なことだってあっただろう。でも、私にも、ここにいていいよって言ってくれた気がした。彼がいると皆、笑顔になった。子供がはしゃいでちょっかいをかけるとちょっと嫌そうな顔をしながら、でも我慢してそこにいた。彼の見ていた世界を、ほんの少しだけ覗きたくなったのだ。彼の気持ちを代弁しようなんて全く思っていない。だから彼の歌ではないと思う。これはわたしの言葉だ。でももしかしたらそのレコーディングの朝、彼がわたしに言葉をくれたのかもしれないなあ。彼はわたしの中でも、まだ2度目の死を迎えることはない。彼の日常は、わたしの見たことない、ちょっとした事件だったのだ。もしも、僕が / 森田くみこ 【MV】

三大欲求

わたしは、三大欲求がひとより乏しいように思う。まあ比べるもんでもないんだが。ご飯は正直なんでもいい。そんなに食べたいとも思わないし、胃腸が弱いし。。ご飯はひとと会う口実になっていたりもする。1人で食べる食事は、本当にただお腹が鳴るのを止めるため。眠いとは思うけれど睡眠時間は少ない。5時間寝ればいつも結構満足なのだ。とはいえ2時間ほど経つとトイレに起きる。低燃費である。性欲に関しては。。言及をやめておくが言わずともがな笑 先日私は20時間寝てしまった。何年ぶりだろうか。その日からなんだか体と心のバランスがおかしい。うまく言えないけれど、少しズーーンとなっておる。ズーーーンとなった時、わたしはいろんな情報を詰め込む。たいして興味のないニュースを読み、漫画を読み、成分表を読み、何かの説明書を読み、活字で頭をいっぱいにする。なんのためにと言われるとわからないけど、たくさんの情報を取り入れる。それも全く興味のないことばかり。わたしは20歳の頃全く本が読めなくなったのだけど、(今は読めても内容をすぐ忘れる)それまでは本の虫だった。気持ち悪いくらいに本を読んでいた。今は活字にこんな形で助けられるとは。記憶力はいい方なのだけど、本はダメだ。好きだけど覚えていられない。だから毎回楽しめるんだけど。多分活字でいろんな欲求を満たしているんだろう。わたしの身になることはないけれど。 ズーーーンの正体はおそらく私の食道と胃である笑どうにも本調子でない。焼けるように熱くえづいてしまう。そんな時も活字で満たす。今日も興味のない情報をかき集めるわたしであった。   

イメージの行く先

唐突ですが。来年1/21にワンマンライブをやるです(わーい)もちろん、遊びに来て欲しいのです。そしてそれに伴って、ずっとレコーディングをしてるです。ずっと1人でパソコンとピアノとマイクに向かって作っていると、何が何やら、ようわからんようになってきて、何ヶ月か停滞したのも事実です。(お恥ずかしい)しかし、協力者もたくさんおることに気づき、いろんな方と音を言葉を交わして、仕上がりが少しずつ近づいてきております。間に合うかなあwとにかく頑張りますね。夏に頑張って作ってたので、夏の曲多めなのはここだけの話。真冬なのにね。 物販も作らなきゃね。何を作ろうかなあ。絵を描こうかなあ。 何か一つをなそうとすると、その度にたくさんの仲間に生かされてると、毎度毎度、本当に思う。わたしは1人でやってるけど、あーひとりじゃないんだなあ。たくさんの人に支えられてます。ひととしても、音も。そして聞いてくれる人がいて、ライブに遊びに来てくれる人がいて。本当に生かされてるなあ。それはなんて幸せなことなんだろうって。 9月に胃腸を悪くして以来、体力的にもきついことがあったんですが、そういう精神的な支えあってこそ、今こうやってやれてるなあと。まあ、胃腸悪くしたのは自分のせいなんですけどねwでもあれじゃない?ひとりだとさ、風邪とかひくと辛いじゃないwそんな感じよ。わたしの今できる中身を音に閉じ込めてます。これを聞いてくれた人が、少しでも元気になったり、優しい気持ちになれたりしたらいいな。是非そちらもお楽しみに! ライブ、是非遊びに来てね!

おとこのことおんなのこ

セクシャリティのはなし。最近自分が男だか女だかわからなくなる瞬間がある。いや、体つきはもちろん女だし、恋するときは男の子に恋するし、セクシャリティ的には紛れもない女なのである。ただ、機会がないってだけなのかもしれないなって最近思ったりもする。そうそう、ホモの友達にも言われたんだった。 「あんたはもう立派なホモよ!」 真意はわからないw馴染みの飲み屋の店長にも言われた。 「バイなんじゃない?気づいてないだけで」 なるほど、そういう考え方もあるのね。他にも、男でも女でもないよねとか、そういう次元の話じゃないとか。 小さい頃は、男の子になりたかった。なりふり構わず走り回ってサッカーしたり野球したりする姿に憧れていた。同級生のおんなのこたちが好きな男の子の話をするときは、(転校しまくってたわたしは)とにかく話を合わせてた。話を合わせてるとそれが本当に思えてくるのが不思議。恋は思い込みで全て成り立っていた。その間お付き合いしてみたりもした。嫌でもないし、好きだという思い込みはとても強かった。(今でも思い込みでどうにかなることもたくさんあるw)大学に入ってからも男の子になりたい気持ちは変わらなかった。男の子100人くらいに女の子が4人という学科に入ったが、女の子同士でつるまなきゃいけない理由がわからなかった。自然とその3人の女の子とは離れていったし、それより仲のいい男の友達ができたりもした。高校から唯一連絡を取っている友達も、男の子だ。これらの関係に性的なものは一切なく、本当にただの友達。結婚をしただの、彼女ができただのの報告もよく受けたりする。そもそも、男女の友情は成り立たないというが、果たしてそうなのだろうか。私にとっては、周りが男とか女とかホモとかもうあまり関係ないようになってきた。いち人間として接するし、相手もただ森田くみことして接してくれる。友人のパートナーに失礼のない範囲でご飯に行ったりもする。これを友達と言えなかったら、私の友達は片手で足りるほどになってしまいそうだ!w ただ、わたしの女としてのアイデンティティはほとんどもうない気がしてしまう。スカートをはくときと、あとは下着をつけるときに思い出すくらいだ。別に今は男になりたいとか思わない。だからと言って絶対的な女であるかと言われると、よくわからない瞬間がたくさんあるのだ。 こんなわたしでも、これから恋をすることもあるだろうし、もしかしたら結婚して子供を持ったりすることがあるかもしれない。おとこのことおんなのこの間でフラフラと揺れながら、もしかしたらどっちでもなく、このまま生きていくのかもしれないと、ふと思った今日この頃。

手紙

昨日とてもうれしいことがあった。思い出しただけでにやけるような。音楽やっててよかったなあ。そしてまだまだ歌いたいなあ。そんなことを思いながら言葉を紡いでみている。おんがくになったら聞いてほしいなあ。このいつまでも青くて新しい感情

近い天井

友達が泊まりに来た深夜、いろいろ話してさて寝るぞとなった今、シンとした部屋でいろんなことを考えている。わたしのこと、わたしの周りの人たちのこと、いろんな物事のこと、近い天井を見ながら、ぼーっと考えてしまう。近くにいるあの人たちやあなたに、私は何ができるんだろう。どんな言葉をかけてあげられるだろう。例えば病気になった時、例えば道に迷った時、例えば近くの人が死んだ時、例えば病気を患ってしまった時、例えば死にたくなった時、私の持つ全てをもってして、あなたを救えるんだろうか。そんなこと求められてもいないんだろうけど、過去に見た素晴らしい景色をうまく伝えることさえできない私は、何ができるんだろう。なんとなくで済ませたくないことが多すぎる。口では癖でなんとなく、なんて言っても、なんとなくじゃないことばかりだ。偶然の皮を被った必然。もっと深く関わっていきたい。もっともっとあなたを知りたい。そんなことばっかりだ。以前、交通事故で足の自由をなくした方にあった時。この方はパラリンピックのとある出場種目の前キャプテンで、"今動かせる体の全てを使ってプレイする"とおっしゃっていた。私は今持てる全てを使って生きているか。こんなに自由に生きていて、わたしは全力か。まだできる、もっとできる。あぁ、もっと近づきたい。もっと知りたい。あなたの近くにいてみたい。きっとこれはまた何かのはじまりなのかもしれない。