5,もしも、僕が

 ツアーの興奮も冷めやらぬまま、ブログをしたためたいところだけど、それよりまず今お知らせしたことを。初めてMVを作ったのです。手作りで(笑)わたし、映像のえの字のセンスも持ち合わせてないから今まで作ったことがなかったの(笑)今回のミニアルバムのタイトルは、ショート・ムーヴィー。日本語だと短編映画。わたしはいつも歌を作るときに、目に映る情景やあの日の匂いや、そういうものを考える。毎日事件があるわけじゃない。言い方を変えれば、何もない日常だってある種の事件なのかと。だから、このアルバムを聴いて、あなたの何気ない日常だったり、小さな事件が、きっといいものだって思えたらいいなあって。まあこれはわたしのエゴだからどんなことを思ってくれても構わない。MVにした曲は、5曲目の、"もしも、僕が"この曲はどのラジオ局でも流してもらってないし、いわゆる、推し曲ではなかった。それこそ、この曲が出来上がったのがレコーディング当日。本当は他の曲を収録するつもりだったのに、その朝降りてきたのだ。一気に書き上げたこの曲をその日、CDに入れた。どうしてこの曲をまず映像化したのかというと、わたしが東京に来てからずっとお世話になってる場所があった。浅草の地下にある洋服屋。洋服屋なのにタバコが吸えて、売る服はあまり置いてなくて、猫がいて。看板もルーズリーフに店の名前をはっつけて書いてるだけ。これだけ書いたら、なんでやる気のない服屋なんだ!って思うかもしれないね。ここではたくさんのことを教えてもらった。(今だってたくさん教わっている。)扱うものが服と音楽と違えど気持ちはきっと同じだ。いいものを、手をかけて、心を込めて、丁寧に生み出して発信する。時間をかけてゆっくりと、それは多くの人に伝わり、そこに在るもの、となっていく。不思議なことにここの服を着ると、何か力が湧いてくるのだ。生きる力というか、明日はこれを着たいな、なんて、わたし今まで考えたことなかった。服なんてどれでもよかったし、真っ黒な服しか持ってなかった。服が破れたらまた新しく安い服屋で洋服を買い、少ない服を着まわしていた。でも服はそう在るためになかった。ステージの上に立つときは、しゃんと背筋の伸びる服と靴を。それはわたしの自信となった。日常は着心地の良い、洗って何度も使える服を。着るたびに馴染むその服は、どんどん私だけのものになっていく。服に無縁だった私にとって、この服屋は東京に来たときの最初の衝撃だったのだ。だから私は、東京で作った歌たち、最初のMVは絶対ここで撮りたかったのだ。日本には二回の死がある。店主は彼が死んだ時言った。1度目は肉体の死。2度目は皆の記憶から消える死。彼は1度目の死を迎えた。多くの人に愛されて、死を迎えた。彼は何も喋ることはなかったけれど、皆のなかに在ったのだ。死んでからもなお、彼はまだまだ、私たちの中に生き続けるだろう。2度目の死はなかなか来ないということは、彼の眠っていたゆりかごの花が証明している。彼は何を見ていたのだろうか。自ら進んでそこに行き、人と共に生きた。きっと嫌なことだってあっただろう。でも、私にも、ここにいていいよって言ってくれた気がした。彼がいると皆、笑顔になった。子供がはしゃいでちょっかいをかけるとちょっと嫌そうな顔をしながら、でも我慢してそこにいた。彼の見ていた世界を、ほんの少しだけ覗きたくなったのだ。彼の気持ちを代弁しようなんて全く思っていない。だから彼の歌ではないと思う。これはわたしの言葉だ。でももしかしたらそのレコーディングの朝、彼がわたしに言葉をくれたのかもしれないなあ。彼はわたしの中でも、まだ2度目の死を迎えることはない。彼の日常は、わたしの見たことない、ちょっとした事件だったのだ。もしも、僕が / 森田くみこ 【MV】